六曜について考える

2021年10月18日
何故これほどまでに、日々を「良い悪い」で区別するのだろう。霊的にちゃんとした理由があっての事かもしれないし、占い的にあくまで目安として考えると生活がしやすいとか、いろいろあるとは思うのです。

ただ、あまりにもその頻度が激しいとは思わないでしょうか。仏滅や赤口といった、通常は危険な日と判断されるような日が毎週のようにやってくる訳です。人生自体危険なものではありますが、六曜によってさらに締め付けるのもどうかと思う訳です。

別に六曜だけじゃなくて、迷信やら伝承やらもそうなんです。以前も書いたと思うのですが、日本だと4・9、さらにメリケンナイズされているので13も不吉な数字とされています。悪い数字を決める事自体はいいのですが、何故こんな若い数字を選んだのかと。

ホテルの部屋番号なんかも101・102・103・105とかなってますよね。4そのものに飽き足らず、3ケタ台になってもおかまいなしに干渉してくるわけです。4は読み方が「し」だから「死」を連想させる。確かに。

でもね、「しあわせ」の「し」でもあるんですよ。何で良い方を連想しないの?陰キャなの?昔の誰だか知らない陰キャのせいで、それ以降の人々、現代に至るまで皆が迷惑してんの。

という事で今日から4は大吉の数字とします。

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