怒りの感情について

2018年8月12日
怒りの感情には「意味」が無い。もっと言うなら「価値」が無い。
こう考えるのがベストではないかという結論に至った。

他人を観察するとよく分るが、何かに対して口汚く罵ったり
嘲笑したり悪態突いたり、ヒステリックに騒ぎ立てたり・・・。
そんな人を見て、「怒り」って大切だなって思いますか?いいえ思いません。(反語)

正しい怒りというのも存在するが、それは怒りというか
「たしなめる」とか「さとす」とか「しつける」とか、そういう部類になる。
要は「感情的な怒り」「激情型の怒り」には意味が無い。

カッとなって頭に血が上るタイプのヤツですね。
そういう人を傍から見てどう思うか。「誰かとペアを組んで下さい」って
なった時に、そういう人と組もうと思いますか?って事。

カッとなっても口が上手い人・頭の回転の速い人などは
上手く言いくるめられて、それで自尊心を保ったり、優位に立てるでしょう。
でも、傍から見てそれが「人として優れているかどうか」は自明の理。

自分からにしろ相手からにしろ、感情的な怒りに会った場合は
相手にしない事がまず最優先事項となります。

感情的な怒りは「判断力」「分析力」「集中力」を鈍らせる。
「視野」は狭まり、無駄な「体力」を浪費する。周囲にも悪影響を与え、
自己の評価も下がる。せいぜい「物理攻撃力」が一瞬上がる程度。
そして、暴力が役に立つ場面なんか日常では皆無。
格闘技だってそうでしょう。むしろ逆効果になるのでは?

ムカつく人間や、怒りのコントロールについて考えて来ましたが、
行き着く先はここかな~と言う感じです。「憤怒」はおそらく最終段階なんだと思う。
つまり「人を殺す感情」。感情的な怒りはいわば「殺意」。

感情的になって罵詈雑言まくしたてるぐらいなら、もうそいつを殺せよと。

つまり、怒りの感情は「状況の把握」に使うのです。
今カチンと来たのは「何故」か。どうすれば解決するのか。
冷静に、俯瞰の位置から見極める。マイナスの感情はちゃんと対処しないと危険である。

そして、その点について出来ている人・出来ていない人を見極めて
区別する。これも大事。区別できていない人は、簡単に言えば「犯罪者側」の人間。
そういう人たちとは距離を取った方が賢明だ。

物理的にもそうだし、人間関係でもそう。アメリカに行って、
家の中では靴を脱げよ!と騒ぎ立てても、「何だあのジャップは?」と
なるだけ。関わるだけ無駄な人間はいる。それも結構な量。

そこであの名言もポトリ。「関わるなら間接的に。直接的なら徹底的に。」です。

『カッとなったら思い出せ。相手はシングルタービンだって事をな。』(CV:涼介)

なるほど。

コメント