と言う事で夢幻台さんのコラムを読む。
なるほど、完成。私の今の立ち位置とは逆になる。
私は企画屋なので、完成とはもっとも縁遠いのだよ。

しかし、完成の位置付けを高くするってのはいい考え方ですね。
企画段階で満足というか、企画で楽しむ事が目的でも無い限りは、
制作なんてものは完成させなきゃ何も得られないと思うわけです。

企画屋とはいえ、あたくしも完成させたいとは思うわけです。
解決策は分かっている。妥協だ。諦める事から全てが始まる。
作品を重ねるごとに、妥協は少なくなっていくんだろう。

分かっちゃいるけど止められない。ならそれが俺の能力の上限なのだ。
私には完成させる能力は無い。

・・・と言いつつ、駄作でも一応3つぐらいは作ってるんだよねー。
叩きまくれと何か猫のやつとパートナーリング。
一番時間かけたパートナーの完成時は、それなりに感動したものだ。

何もかもが懐かしい。

コメント

夢幻台
2015年5月15日6:46

おはようございます、夢幻台です。読んでいただきありがとうございます。
自分のゲーム完成論を語る中で少し嫌味な書き方が今後出るかもしれませんが、
そのあたりはどうかご容赦いただければと思います。

>解決策は分かっている。妥協だ。諦める事から全てが始まる。
>分かっちゃいるけど止められない
「完成のための妥協」と「譲れないこだわり」二者択一になったときに
(それが未完成の決定打になったとしても、なるとわかっていたとしても)
どうしても「こだわり」を選ぶ心が留まらない…。
そんな状況、ツクラーさんをたくさん見て来て「ああ…」と思うことも
多かったので、このことについても今後書いていこうと思っています。

hiro
2015年5月15日8:45

む、夢幻台さーーーん!!!

結果が伴っていればこそ、自論は雄弁に語りかけるのですよ。
あれだけの作品数+受賞歴。これは凄い事なのです。

「こだわり」続けてついには創作者から企画屋に転落しました。
しかしまだこの界隈にいます。今の私にとって「完成」とは「理想」。
そして「理想」は”掲げる”ものであって、”実現”させるものではない!(えー)