何故坂口氏は「FFにボイスは入れない」と言ったのか
2013年4月18日FF8で歌が入り、FF10ではついに声(ボイス)が入った。
FF8でその予兆があり、FF10でついにその終焉が来たのだ。
ちなみにFF9は覚えてない。無かったと思うけど・・・。
思うに、坂口氏が「声を使わない」と言ったのは、
単にイメージだとか制作理念だとか趣味嗜好だとかじゃなく、
明確な意図があるように思われる。それはFFの衰退が物語っている。
声というのはリアルである。
FF6のような機械音とか合成とかではなく「本物」である。
本物であるが故に、ゲームのリアリティーは格段に上がる。
だが、ゲームという仮想現実において、突出したリアルは逆に毒になる。
空想の世界を飛び回るはずが、現実を突きつけられて
ほうきは浮力を失い墜落する。
FCやSFCのドット絵の時代が、懐古厨などと呼ばれつつも
愛されているのは、そこに余地があったから・・・というのはご存知の通りだ。
ファンタジーとは思いを馳せるものなのだ。想像するものなのだ。
コンピューターゲームもといRPGとは、
ゲームそのものだけでなく、プレイヤーがプレイして、
プレイヤーが想像をして、初めて「完成」する。
既に「完成された」作品を突きつけられても、
RPGは成り立たないのだ。そういうのは映画などのほかの分野に任せればいい。
※もちろん映画などにも想像の余地はあるが、ゲームの比ではない。
ご存知の通り、ゲームとは記号である。
映画のようなグラフィックなど、本来必要無い。
それどころか、ゲームの本質とは逆行している行為なのだ。
だから「声は入れない」なのだ。
行き過ぎたリアルはファンタジーを殺す。
坂口氏が離れた。ボイスが入った。そしてFFは死んだ。
FF8でその予兆があり、FF10でついにその終焉が来たのだ。
ちなみにFF9は覚えてない。無かったと思うけど・・・。
思うに、坂口氏が「声を使わない」と言ったのは、
単にイメージだとか制作理念だとか趣味嗜好だとかじゃなく、
明確な意図があるように思われる。それはFFの衰退が物語っている。
声というのはリアルである。
FF6のような機械音とか合成とかではなく「本物」である。
本物であるが故に、ゲームのリアリティーは格段に上がる。
だが、ゲームという仮想現実において、突出したリアルは逆に毒になる。
空想の世界を飛び回るはずが、現実を突きつけられて
ほうきは浮力を失い墜落する。
FCやSFCのドット絵の時代が、懐古厨などと呼ばれつつも
愛されているのは、そこに余地があったから・・・というのはご存知の通りだ。
ファンタジーとは思いを馳せるものなのだ。想像するものなのだ。
コンピューターゲームもといRPGとは、
ゲームそのものだけでなく、プレイヤーがプレイして、
プレイヤーが想像をして、初めて「完成」する。
既に「完成された」作品を突きつけられても、
RPGは成り立たないのだ。そういうのは映画などのほかの分野に任せればいい。
※もちろん映画などにも想像の余地はあるが、ゲームの比ではない。
ご存知の通り、ゲームとは記号である。
映画のようなグラフィックなど、本来必要無い。
それどころか、ゲームの本質とは逆行している行為なのだ。
だから「声は入れない」なのだ。
行き過ぎたリアルはファンタジーを殺す。
坂口氏が離れた。ボイスが入った。そしてFFは死んだ。
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