ある程度でいい

2012年4月25日
この世に平和など無い事は当然の事。
故に、誰しもが安心して生活できる、幸せな世界。
そんな世界を求め!声高に叫ぶ者は!

阿呆と呼ばざるを得ない偽善者だ!!!

・・・だぁがぁ~。
”ある程度”の平和を求めるならば話は別だ。

何故なら実現可能だからだ。
世界平和などという絵空事を夢描くより何倍も有意義な事だ。

そこで・・・必要になるのが、必要悪である。
具体的に1つ例を挙げるなら、死の必要性である。

1人が死ぬ事で、10人が助かるなら、そちらを選ぶ。
王の決断である。
人情としては理解できない事だが、システムとしては
完全にどちらが正しいかは明白。

だからシステムを取る。
システムを取るような人間は、人間とは言えない?

人間とは!
裏表の生き物である。
建前として嘆き悲しむ。

だぁがぁ~・・・。
裏では「あいつが死んでくれて、俺たちは助かった!」
「よかったよかった」・・・と、胸を撫で下ろす。

そんな愚かな・・・生き物。

だがしかし!それでこそ人間という生き物。
それでこそ”正しい”人間の有り様というものではないか。

「表面的に悲しむだけでいいのか?」
当たり前だ、この腰抜けがっ!!!
表面上さえ取り繕えば、それで事は丸く収まるのだ。

わずか1人の犠牲によって、10人が助かった。
大団円ではないか!

当然、様々なパターンは存在する。一概にどちらが正しいとは言えない。
しかし。
いずれかを犠牲にしなければならない事柄は無数にある。

何かを得るには、何かを犠牲にしなければならない。
犠牲にした時、貴様は、俯き、悲しみ、嘆く・・・
・・・フリをすればいい。簡単な事だ。実に、人間らしいではないか。

さあ、決断の時だ。

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