上位陣の戦力差
2012年2月29日某所でみたのだが、スポーツの世界では100分の1秒を争う戦いになる云々。
なるほど、確かに100m走なんかではそれが当てはまりますね。
これをサイヤ人戦での戦闘力に直すと、
ベジータ18000
ナッパ5000
ラディッツ1500
ではなくて、
ベジータ1800
ナッパ1500
ラディッツ1000
みたいな感じなんじゃなかろうかと。
ふむ。ややこしい。
極端に言えば、最高レベルが100として、
「3と4の差」に比べて、「98と97の差」は
ほんの少しの差でしかないという。
1歳児と4歳児では、その力の差に天地の開きがあるでしょうが、
95歳と98歳の老人の力の差は、大差無いという。
まあ、後者は「老い」だからベクトルは逆になってますけど。
よくある大男の大斧での攻撃を、華奢な男が片手でナイフで
受け止めるような表現。ああいうのは、まあ当然ですけど、有り得ないわけです。
剣聖と呼ばれる人間が、手錬と呼ばれる刺客をバッタバッタとなぎ倒すなど、
有り得ないわけです。
柔道なんかの100人組み手とかだって、
どんだけ凄い人でもヘトヘトになるわけですし。
要するに、上限があるわけです。
そして上限へ近づけば近づくほど、能力の上昇値は少なくなる。
若手の成長度合いに比べて、劣るわけです。
ドラゴンボールにおいて、この理論を界王拳に当てはめるなら、
4倍を上限にすえておけばよかった事になる。
2倍は普通。3倍だと、人体に多大な影響を及ぼす。
4倍は人間が耐えうる限界点。5倍になると人体爆破、みたいな。
それは、どんなに鍛えても同じ。
掛け算部分は同じで、あくまで元の数字を鍛えないと意味が無いみたいな。
ドラゴンボールでは○倍という部分を鍛えてしまえたから、
インフレになったのではないでしょうか。
ふーん。
なるほど、確かに100m走なんかではそれが当てはまりますね。
これをサイヤ人戦での戦闘力に直すと、
ベジータ18000
ナッパ5000
ラディッツ1500
ではなくて、
ベジータ1800
ナッパ1500
ラディッツ1000
みたいな感じなんじゃなかろうかと。
ふむ。ややこしい。
極端に言えば、最高レベルが100として、
「3と4の差」に比べて、「98と97の差」は
ほんの少しの差でしかないという。
1歳児と4歳児では、その力の差に天地の開きがあるでしょうが、
95歳と98歳の老人の力の差は、大差無いという。
まあ、後者は「老い」だからベクトルは逆になってますけど。
よくある大男の大斧での攻撃を、華奢な男が片手でナイフで
受け止めるような表現。ああいうのは、まあ当然ですけど、有り得ないわけです。
剣聖と呼ばれる人間が、手錬と呼ばれる刺客をバッタバッタとなぎ倒すなど、
有り得ないわけです。
柔道なんかの100人組み手とかだって、
どんだけ凄い人でもヘトヘトになるわけですし。
要するに、上限があるわけです。
そして上限へ近づけば近づくほど、能力の上昇値は少なくなる。
若手の成長度合いに比べて、劣るわけです。
ドラゴンボールにおいて、この理論を界王拳に当てはめるなら、
4倍を上限にすえておけばよかった事になる。
2倍は普通。3倍だと、人体に多大な影響を及ぼす。
4倍は人間が耐えうる限界点。5倍になると人体爆破、みたいな。
それは、どんなに鍛えても同じ。
掛け算部分は同じで、あくまで元の数字を鍛えないと意味が無いみたいな。
ドラゴンボールでは○倍という部分を鍛えてしまえたから、
インフレになったのではないでしょうか。
ふーん。
コメント