憤りとその対処法

2012年1月31日
最大の対処法は、明らめる事。
すなわち、その本質を明らかにし対処する事だと思われます。

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私は仕事の1割弱をデスクワークしているわけですが、
当然ボールペンやら計算機やらを使用しています。
ホッチキスやらセロテープとかあったりします。

これがね、使われるわけですよ。
別に使うなとはいいません。ですが、どんなに安物だろうと”人の物”ですよ?

勝手に使っていいわけありません。
無断で使っていいわけありません。
使ったら返さないといけません。

それって幼児レベルから教えられる事じゃないでしょうか。
ただ、それが出来ない人間が多数いるのが「社会」ってやつなんですよね。

「当たり前の事を当たり前にする」事がどれだけ難しいか。
どれだけ大切なのかがよく分かる事例だと思います。

人の物を使う時は「使っていい?」「ちょっと貸してね」って言うのが
当たり前でしょう。人がいない時に借りてたら「ごめん、ちょっと使ってるよ」
ってぐらい言えないものでしょうか。

小学生のようにわざわざ「名前」を書いて貼り付けてある
ボールペンを、自分のデスクの引き出しの中にしまうという感覚。
それが分からない。

安いから?あとで返すから?

ふざけんなよ。窃盗だろうが。

私は、このような程度の低い事に憤りを感じる小さな人間です。
が、悪いのはあくまで勝手に使う奴らであり、借りパクする奴らである。



「僕は悪くない」



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何を言っても無駄だとしても、何かしら対策を講じねば
面倒になるばかりです。
自分が楽をする為に買ったのに、人が使って自分が使えない。

例えばテープにしても、人が何かポップを作っていて貸している。
自分は5センチ使うだけ。そのためにわざわざその人の所までいって、
返してもらわねばならない。

そこまで行く。
「ちょっと使うよ」という。
戻る。

わずかこれだけ。たかがこれだけ。
それでも、「そういう手間を無くすために自腹を切った」はずです。
だからこそ、腹が立つ。

腹が立つが、その程度の事。
こういう問題。どうすればいい。

何故自分が楽をするために買ったのに、人を楽にせねばならない。

見かたを変えれば、それで1つのコミュニケーションの材料になります。
が、それを目的に買ってはいない。

じゃあどうする。
机に鍵をかけて、私物はしまいこむか?
怒鳴りつけて使わせないようにするか?

それはそれで大人気ない。
人間関係も上手くいかない。

だったら我慢するしかないのか?

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そもそも人の物を借りるってのは、物凄い大変な事なんですよ。
お金に例えればすぐ分かるでしょう。
そりゃあ、100円借りるのと10万円借りるのでは桁違いです。

ですが、同じ「借りる」という行為です。
100円借りても、10万円借りてるのと同じ意識を持ってなきゃいけません。
同じというとアレですが、要するに一定レベル以上の意識。

借りているという意識。
それを安物でも持っていないから、こういう面倒な事が起きる。

しかし、意識改革なんてものは子供の頃にしっかりとした
教育を受けて初めて成立するわけです。
20を軽く超えたおっさんおばはん連中に、
「使ったら返しましょうね」と教えても無駄であるのは明々白々。

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閑話休題。

大学時代の話。ここにプリントを配っている教授がいる。
その時、プリントにつばを付けて、配っているわけです。
どこにでもよくある風景です。

ですが、「それ汚いですよ」と注意したら、「悪い悪い」と言い
それからはつばを付けずに配るようになってくれた。

これは非常に驚くべき事です。60代ぐらいの教授だったのも
驚くべきところでしょう。普通はそんな事できるわけがない。

喫煙者にタバコを吸うなと言って、吸わなくなるぐらい驚くべき事です。
常人では絶対にできない事。恐るべき懐の深さを感じた事があります。

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自分の物ならまだ「私物である」というある意味の脅しが効くのですが、
これが会社のものならどうでしょう。
「半分自分の物」という意識が生まれます。

だから、無くなる。
さすがに盗むまではいかずとも、高確率でどこかに放置される。
仕事をするにあたって不要である「探す」という行為が追加される。

私が「お片付け」を非常に重視するのはここにあります。
放置するのは1秒ですが、探すのには1分かかります。
そして片付けるのは10秒です。

「何が正しいか分かるでしょうか?」
こう言われれば、ちゃんと片付けた方がいい・・・と、
余程の馬鹿でなければ答えられるでしょう。

だが、現実ではそうはいかない。
もちろん、急ぎの用事で放置しなければならないでしょう。
時には忘れる事もあるでしょう。

だが、基本は忘れてはいけない。
そして、人間らしいエラーも認めなければならない。

その上で何ができるか、だ。



「僕は悪くない」



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放置する人間は「責任」を持たない。
それに憤る私は「責任」を持つ。

故に、これらの件に関する責任は、全て私にあるわけだ。

故に、これらの問題は理論的に解決し得ない様相を呈している。

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