恐怖の凄いところは、何かがあれば確かに怖いのだが、
何も無くても怖いって事に繋がるってところだ。
バイオでもBGMが無くなる場所とかあるが、それだ。
無音とはいえ、SEはある。
つまり、足音とか風の音は普通にある。
この状態でBGMが無い。これが怖い。
日常生活ではありふれた状態だが、ゲームでは際立つ演出となる。
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ホラーものってのは、実はグラフィック重視である。
RPGはファミコンレベルでも十分成立できるが、
ホラーとなるとそうはいかない。ファミコンレベルでホラーを成立できるってなると、
それは物凄い力量があるって事になる。
名作と言われているコープスやGu-Lがいかに凄いかって事だ。
いわゆる、霊とか怪物とかが恐怖の対象となる場合、
特にグラフィックが重視される。
だが何故かと問われると、それが「非現実的」なものであるから、となる。
つまり「現実的」なものはそこまでグラフィックにしばられる必要は無い。
ファンタジーが”とことん考え抜かれたもの”でなければチープになるのと同じで、
現実・・・例えば学園ものならば、不足があってもプレイヤーが勝手に
”補完”してくれるからだ。だから「学園」ならば「ここは学校で、机があって、
数学があって、運動場があって、学園祭などの行事がある・・・」という
風に、説明せずとも大量の情報がプレイヤーに送られる。
ホラーを作るに当たって、グラフィックが大きな課題となるツクーラーは、
この現象を利用して「現実的」な表現を追及すべきだろう。
その1つが「ランプシステム」となる。(上手く繋いだね!!!)
拙作では、ダンジョンに入ると画面全体が暗くなり、
視野が狭まる。さらに、移動速度が下がる。
音楽も緊張したものに変わる。
これが恐怖の演出だ。そして、この程度の演出で最低レベルだと言う事だ。
そもそもダンジョン内というものは、もっと殺伐としていなければならない。
常時サイレントヒル。それがダンジョンだ。
デフォルトのツクールの性質上、マップってのは、
普通は見れない場所まで見る事ができる。
壁を隔てた先にある宝箱が確認できる。
これでは緊張感も何もあったもんじゃない。
敵だってそうだ。たいてい、”ある程度の間隔”で
”ある程度の数”で登場してくる。
これでは恐怖の対象にはならない。
簡単に
「予測可能である事」
「対処可能である事」
というのは、恐怖にはならない。
下手をすれば、それとは対極の「作業」になる。
もちろん「安心感」も産む。
が、安心感は簡単に度を超し易い。
胃がキリキリ痛むような恐怖の演出は難しいが、
恐れるものは何も無いという状況は安易に作る事ができる。
制限する事は非常に大切で、いかにその制限を
「制限」と感じさせないか。制限に面白さを持たせてこそ表現者。
デフォルト以上の表現。新たなステージ。
如何に素人とはいえ、そこを目指さなければいけない。
何も無くても怖いって事に繋がるってところだ。
バイオでもBGMが無くなる場所とかあるが、それだ。
無音とはいえ、SEはある。
つまり、足音とか風の音は普通にある。
この状態でBGMが無い。これが怖い。
日常生活ではありふれた状態だが、ゲームでは際立つ演出となる。
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ホラーものってのは、実はグラフィック重視である。
RPGはファミコンレベルでも十分成立できるが、
ホラーとなるとそうはいかない。ファミコンレベルでホラーを成立できるってなると、
それは物凄い力量があるって事になる。
名作と言われているコープスやGu-Lがいかに凄いかって事だ。
いわゆる、霊とか怪物とかが恐怖の対象となる場合、
特にグラフィックが重視される。
だが何故かと問われると、それが「非現実的」なものであるから、となる。
つまり「現実的」なものはそこまでグラフィックにしばられる必要は無い。
ファンタジーが”とことん考え抜かれたもの”でなければチープになるのと同じで、
現実・・・例えば学園ものならば、不足があってもプレイヤーが勝手に
”補完”してくれるからだ。だから「学園」ならば「ここは学校で、机があって、
数学があって、運動場があって、学園祭などの行事がある・・・」という
風に、説明せずとも大量の情報がプレイヤーに送られる。
ホラーを作るに当たって、グラフィックが大きな課題となるツクーラーは、
この現象を利用して「現実的」な表現を追及すべきだろう。
その1つが「ランプシステム」となる。(上手く繋いだね!!!)
拙作では、ダンジョンに入ると画面全体が暗くなり、
視野が狭まる。さらに、移動速度が下がる。
音楽も緊張したものに変わる。
これが恐怖の演出だ。そして、この程度の演出で最低レベルだと言う事だ。
そもそもダンジョン内というものは、もっと殺伐としていなければならない。
常時サイレントヒル。それがダンジョンだ。
デフォルトのツクールの性質上、マップってのは、
普通は見れない場所まで見る事ができる。
壁を隔てた先にある宝箱が確認できる。
これでは緊張感も何もあったもんじゃない。
敵だってそうだ。たいてい、”ある程度の間隔”で
”ある程度の数”で登場してくる。
これでは恐怖の対象にはならない。
簡単に
「予測可能である事」
「対処可能である事」
というのは、恐怖にはならない。
下手をすれば、それとは対極の「作業」になる。
もちろん「安心感」も産む。
が、安心感は簡単に度を超し易い。
胃がキリキリ痛むような恐怖の演出は難しいが、
恐れるものは何も無いという状況は安易に作る事ができる。
制限する事は非常に大切で、いかにその制限を
「制限」と感じさせないか。制限に面白さを持たせてこそ表現者。
デフォルト以上の表現。新たなステージ。
如何に素人とはいえ、そこを目指さなければいけない。
コメント
想像力がものをいいますね。
そう、グラフィックではなく!
時計を見たら4時だった!!っていうね。
そしてそれは身近にあるはず。