ボスのいないダンジョン
2011年11月15日DQ3に代表される、このタイプのダンジョンの良さについて語る。
そもそも洞窟内のトラップ・謎解きにも代表されるように、
その仕掛けがある必然性が無ければ「子供だまし」と揶揄されるわけだ。
何故そこにボスがいるのか。
宝を守るため・・・だけでは物足りない。
そもそも、最深部にいる事自体疑問である。
それはつまり、ゲーム的な判断が多く作用しているからだ。
仮にボスがいないのが普通だったとすれば、
目的のアイテムを取ればそれでダンジョンは踏破と言う事になる。
これが何を意味するかというと、「ボスのために」
エリクサーを温存する必要が無くなると言う事だ。
そもそもボスがやたら強い・やたら弱い原因はそこにある。
普通は、最後に待ち構えるボスと対峙する場面では、
主人公たちはある程度疲弊しているべきなのだ。
だが、ボスを想定してダンジョン攻略に挑むのが普通になった時点で、
主人公は「宿屋で休んで磐石の状態で」戦闘に赴く事になる。
疲弊したザコ戦と、磐石のボス戦。
作者の意図したところとは違う条件が揃う。
ザコが強く、ボスが弱い。
これを払拭するために、ボスがやたら強いなどの改悪が生まれる。
//
例えば、ボス戦ではエリクサー禁止・・・などの措置はどうだろうか。
ボス戦と言うか、ボスのいる階層に近づくと、効果の高いアイテムや魔法の
効果がなくなってくる。
何がダメかって、温存がダメなのだ。
要するに、何かと理屈を付けてでも、プレイヤーに苦労をさせねばならない。
当然、バランスがいい苦労を。
単純に、回復手段を少なくするだけでもいい。まずはそこからだ。
・・・なるほど。
ならばエレメンタルリングももっと厳しくせねばいかんな。
よくよく見てみたら、まだまだ回復要素が多いわ。
そもそも洞窟内のトラップ・謎解きにも代表されるように、
その仕掛けがある必然性が無ければ「子供だまし」と揶揄されるわけだ。
何故そこにボスがいるのか。
宝を守るため・・・だけでは物足りない。
そもそも、最深部にいる事自体疑問である。
それはつまり、ゲーム的な判断が多く作用しているからだ。
仮にボスがいないのが普通だったとすれば、
目的のアイテムを取ればそれでダンジョンは踏破と言う事になる。
これが何を意味するかというと、「ボスのために」
エリクサーを温存する必要が無くなると言う事だ。
そもそもボスがやたら強い・やたら弱い原因はそこにある。
普通は、最後に待ち構えるボスと対峙する場面では、
主人公たちはある程度疲弊しているべきなのだ。
だが、ボスを想定してダンジョン攻略に挑むのが普通になった時点で、
主人公は「宿屋で休んで磐石の状態で」戦闘に赴く事になる。
疲弊したザコ戦と、磐石のボス戦。
作者の意図したところとは違う条件が揃う。
ザコが強く、ボスが弱い。
これを払拭するために、ボスがやたら強いなどの改悪が生まれる。
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例えば、ボス戦ではエリクサー禁止・・・などの措置はどうだろうか。
ボス戦と言うか、ボスのいる階層に近づくと、効果の高いアイテムや魔法の
効果がなくなってくる。
何がダメかって、温存がダメなのだ。
要するに、何かと理屈を付けてでも、プレイヤーに苦労をさせねばならない。
当然、バランスがいい苦労を。
単純に、回復手段を少なくするだけでもいい。まずはそこからだ。
・・・なるほど。
ならばエレメンタルリングももっと厳しくせねばいかんな。
よくよく見てみたら、まだまだ回復要素が多いわ。
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