シューキョー

2011年1月12日
チャーシュー

さて、宗教は必要か不要か。
答えは必要である。

何でかっつーと、人間っていうのは非常に愚かなわけだ。
頭がいいから頭が悪くなるという。

それを是正させるシステムの1つが宗教となる。
宗教と言わずとも、それに似た概念というか、
そういうもう1つの法律のようなものが宗教である。

昔の人は分かってか分からずか、そういう心の徳みたいなのが
高かったから、宗教を理解し納得していた。
そしてそこから得られる安らぎに対し、お布施という対価を支払っていた。

しかし今は個人主義で、一人で何でもできると思い込んでいる
俺様主義が増え、宗教に距離を置きさらには排除しようという流れが生まれた。

新興宗教はおいといて、それが絶対正しくなくとも
仏教などの歴史ある宗教を宗教として成立させていられる事が、
1つの平和への道なのである。

正解の宗教に辿り着くまではまだまだでしょうが、
人間は完全足り得ないから人間である。
つまり、重要なのは絶対に出せない結果・結論ではなく、
永遠に続く課程である。故に、微修正を繰り返す事が重要。

BESTではなくBETTERを重んじる。
宗教は完全ではないが、だからって疎んじる理由にはならない。
宗教が嘘だとしても、だがらといって否定していい事にはならない。

イスラム教徒のように、宗教を生活の根幹として生きろとは言わない。
1%でもいい。1%でも確実にその人・もしくは社会の礎として、
宗教があるべきなのである。

ラーメンでもそう。

それに占める割合が1%であったとしても、チャーシューが
ある無いでは随分と印象も味わいも違ってくるものなのです。

ですから、ラーメンにはチャーシューが必要なのです。



 ( ゚д゚ )  !?

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