当然ながら敬虔な信者の方が素晴らしいと思う。
分かりやすくいうなら、
「特別な基準を持たず、日々を自堕落に生きている人間」

「ある宗教のしきたりに従って、日々を正しく生きようとしている人間」
の差は大きいと思う。

無宗教だから自堕落か?とか、そのしきたりの内容にもよるだろうとか
いうのはここでは割愛する。
まあどちらにもいえることだが、過ぎたるは何とかにならなければ
どちらでもいいといえばいいんだが。

欧米なんかで無宗教っていうと、「お前は神をも恐れぬなんとかなのかー!」
って気味悪がられるとか何とか。
まあ分からないでもないけど。
血走った目でナイフ持って地下鉄にダッシュするようなもんだな。(謎)

まあ、一定の基準に基づいて生きるっていうのは素晴らしいと思う。
キリストに1日1回祈りをささげる・・・ってんじゃなくても、
1日ウォーキングを30分必ずするとかね。
目標とか目的意識なんてのが無いよりはあった方がいい。
人間は怠惰な生き物だから。
それを正すために、人以上の存在を掲げる事で、
抑止力にするのも1つの手だろうし。

だから、宗教ももっと世俗よりにすべきなんだよな~。
でもそうすると宗教の宗教らしさが無くなるという二律背反。
曖昧なものを除去するために、曖昧なものに頼る。
ん~。

解決の鍵は、幽霊ってのが実際いるかどうかってところから
攻めるのも一興。
実際・・・いる?
幽霊を見たとして、それが現実なのかただの幻覚なのかって問題。
複数で見たとして、それがプラズマなどの自然現象かもしれないって問題。
そういう要素を全て振り払ったとしても、まだ科学で解明されていないだけ
かもしれないって問題に行き着く。

バチ当たりな事をして不幸になっても、そりゃお賽銭盗むような人間なら
自堕落であるのは容易に想像が付くわけで、一般人よりは不幸になる要素が
多いわけで、そこに神だの仏だのは関係無い。

ナ ラ バ !
イッショケンメイ!一つの所に命を懸ける!そうだ!(以下修造)

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