理屈の無い戦闘

2010年1月23日
例えば殴り合いがあったとして、そこに空手なりボクシングなりの
理論が無く描かれてあったら、それは実にチープになる。
子供の視点ならば問題無い。精神論バトルだって熱く面白いものだ。

だが、大人視点からだと実にチープに映ってしまう。
作者が大人であるならなおさらだ。そして何か成果を残せていないならさらに。
チープ!チープ!チープ!よろしい、ならばチープだ。

現実に即し過ぎても=面白さにはならない。土壌が違うならば、
法則も変化させねばならない。漫画の目は現実より大きくて不気味とか、
発想が低脳過ぎて笑える事例がある。媒体が違うのだから当然だ。

ならば、写真のような絵を描くのが最上の美術かという事だ。
それも1つではあるが、それが全てではない。

UNKOを例に挙げれば分かりやすい。とぐろを巻いたUNKOを
あなたは目にした事があるだろうか。ほとんどは横一線形態であろう。
だが、とぐろ=UNKOである。現実的ではないこの表現。
これこそが表現方法の変換である。次元をまたぐ際の変換である。

漫画という媒体において、とぐろは現実世界の横一線形態なのである。
大きな目=普通の目なのである。

まあ、それはいいとして、格闘技である。
初動作無しの攻撃発動とか、ひねりを加えた打撃による威力のアップとか、
そういう事なのだ。こういうのをあらゆる点で取り入れねばならない。
技術面だけでなく、心理面からでもである。
心理面も、心理学により理論付けられたものを取り入れねばならない。
根性論はその1つに過ぎず、そして表面上でしかない。

それではチープ。故にチープ。
だが、そこから抜け出せる気がしない。
全ての評価は観客が下す。

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