RPGの戦闘とは
2009年8月4日ザコ戦は非常に多い。大抵のゲームではザコ戦が面倒・作業になる。
というか、まあ、ほぼ全部だ。面白いけど面倒。面倒だけど面白い。
これはRPGのザコ戦の宿命である。
それはそれとして、これをいかに「面白い」部分の割合を上げられるか。
全てイベント戦闘にして、全てを中ボス戦闘のような緊張感あるものにする。
そんな大義名分を掲げた時期もありました。
だが、RPGならばザコ戦だろう、と。
チマチマ戦闘していって、チビチビ強くなっていき、
装備を整え、ボスを一気に蹴散らす!確かに。確かに然り。
このザコ戦に対する課題。クリアーしていった作品はいくつあるだろう。
DQを基本として、FFを見てみよう。サイドビューにする事で、
視覚による面白さを加算させた。これは素晴らしい。
だが行き過ぎて、召還魔法でン十秒とかかかるようになってしまった。
これは明らかな失敗である。
例えば、通常は数秒で終わるが、召還魔法でのクリティカルヒット的な
場合は、そういったン十秒の演出になる・・・とかならまだよかった。
オーディンでいうところのグングニルと斬鉄剣の違いみたいな。
女神の涙では、カードバトルという要素を加えた。
このシステムの最たるポイントはカードによる駆け引きだ。
が、それと同じぐらい重要なのが音である。
カタカタと小気味良い音が、戦闘の面白さに還元される。
その他のゲームでも「声」もとい「掛け声」が面白さになっている。
魔法ならば「ファイア~!」だ。重要なのは台詞ではなく効果音的
扱いがなされている声というところ。台詞になってしまうと、長くなる。
それではいけない。先の召還魔法の二の舞だ。
だが極めれば、クレアンティクスのような派手派手ボイス戦闘(?)みたいに、
面白い演出のある戦闘へと昇華される。稀であろうが。
ザコ戦はテンポが重要。そしてある程度単調なものでなければならない。
変化はたまにあるからこそ映えるのだ。例えばレベルアップ。
毎回レベルアップしていてはレベルアップの意味が無い。熟練度でいい。
ワルキューレで宿屋に泊まった時流れる、あのレベルアップの音楽。
あれこそ醍醐味というやつだ。感動した!
というか、まあ、ほぼ全部だ。面白いけど面倒。面倒だけど面白い。
これはRPGのザコ戦の宿命である。
それはそれとして、これをいかに「面白い」部分の割合を上げられるか。
全てイベント戦闘にして、全てを中ボス戦闘のような緊張感あるものにする。
そんな大義名分を掲げた時期もありました。
だが、RPGならばザコ戦だろう、と。
チマチマ戦闘していって、チビチビ強くなっていき、
装備を整え、ボスを一気に蹴散らす!確かに。確かに然り。
このザコ戦に対する課題。クリアーしていった作品はいくつあるだろう。
DQを基本として、FFを見てみよう。サイドビューにする事で、
視覚による面白さを加算させた。これは素晴らしい。
だが行き過ぎて、召還魔法でン十秒とかかかるようになってしまった。
これは明らかな失敗である。
例えば、通常は数秒で終わるが、召還魔法でのクリティカルヒット的な
場合は、そういったン十秒の演出になる・・・とかならまだよかった。
オーディンでいうところのグングニルと斬鉄剣の違いみたいな。
女神の涙では、カードバトルという要素を加えた。
このシステムの最たるポイントはカードによる駆け引きだ。
が、それと同じぐらい重要なのが音である。
カタカタと小気味良い音が、戦闘の面白さに還元される。
その他のゲームでも「声」もとい「掛け声」が面白さになっている。
魔法ならば「ファイア~!」だ。重要なのは台詞ではなく効果音的
扱いがなされている声というところ。台詞になってしまうと、長くなる。
それではいけない。先の召還魔法の二の舞だ。
だが極めれば、クレアンティクスのような派手派手ボイス戦闘(?)みたいに、
面白い演出のある戦闘へと昇華される。稀であろうが。
ザコ戦はテンポが重要。そしてある程度単調なものでなければならない。
変化はたまにあるからこそ映えるのだ。例えばレベルアップ。
毎回レベルアップしていてはレベルアップの意味が無い。熟練度でいい。
ワルキューレで宿屋に泊まった時流れる、あのレベルアップの音楽。
あれこそ醍醐味というやつだ。感動した!
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